ねえ…職場のプロジェクトで一緒の人がいてさ。既婚者なんだけど、最近ちょっと気持ちが揺れる時があるの。
その気持ち、分かるよ。でも一歩踏み込む前に、距離と自分の心を守るルールだけは決めよう。体験談、聞く?
うん。どうやって抜け出したのか、正直知りたい…。
あの既読から抜け出すまでのこと
私は当時、都内の中小メーカーで広報をしていました。三十代半ば、恋愛は長らく休業中。仕事は嫌いではないけれど、成果が数字で見えにくく、いつもどこか満たされない気持ちを抱えていました。
彼と出会ったのは、新製品発表のプロジェクトチームです。営業部のリーダーで、社内では“温度感のある人”として定評がありました。会議では誰の意見も否定しないのに、ちゃんと結論に向かわせる。背が高いとか、顔がどうとかではなく、場を整える空気の出し方がうまい人でした。
最初のきっかけは、たぶん、私の「疲れて見えますね」という不用意な一言です。残業続きで目の下にクマをつくっていた彼は笑って、「家で幼児が夜泣き中で」と言いました。既婚者だとそこで知りました。私は「あ、そうでしたよね」とだけ返して話題を切り替えました。その日の会議は何事もなく終わり、私は帰りのエレベーターの中で、自分の胸が少し高く跳ねたのを変だな、と思いました。
そこからの距離は、ゆっくりと、でも確実に縮まりました。プロジェクトのチャットでやり取りをするうち、彼はときどき個別で「資料ありがとうございました。本当に助かりました」と短いお礼をくれるようになりました。忙しい人ほど「ありがとう」のタイミングが早い、というのが私の持論で、彼はその典型でした。私は「いえいえ、こちらこそ」とそっけなく返したふりをしながら、スマホを伏せる手が少し震えているのを誤魔化しました。
決定的だったのは、展示会の前日です。会場の設営が押して、夜の八時を回っていました。休憩の自販機前で、彼が紙コップのココアを二つ持ってきて「砂糖は入ってないけど、甘いはず」と笑ったのです。たわいもない会話をほんの数分。そのあと彼は「帰ったら寝かしつけ第二ラウンド」と冗談めかし、私は「がんばってください」と返しました。帰りのタクシーで、窓に映った自分が、学生のときみたいに浮ついた顔をしていて、情けなくなりました。
“既婚者にときめくなんて、ないない”。私はその夜、自分に言い聞かせるように早く寝ました。それでも翌朝、会場に彼が現れると、心の奥のどこかが勝手に安堵してしまうのです。忙しさに紛れてその感情は見なかったことにできました。展示会は成功し、チームは打ち上げへ。帰りがけ、電車のホームで彼が言いました。「〇〇さんって、仕事の“ここが良かった”を見つけるのが上手いですよね」。私は不意に胸が熱くなりました。誰にも言われたことがない部分を見られた気がして。
その日から、彼のLINEは仕事以外の文脈を含むようになりました。「広報の文章、あの言い回し好きでした」「この前話していたコーヒー屋、行ってみました」。どれも安全な言葉です。境界線が崩れたのは、私の方でした。夜、ふとした拍子に「今日の会議、助かりました」と送る。既読がついて、しばらくしてから「こちらこそ」が返る。会話は深まらないのに、川の下流でゆっくりと水位が上がるみたいに、私の中の何かが満ちていきました。
ある金曜日、チームの飲み会が長引き、終電を逃しました。タクシー待ちの列は長く、秋の夜風は冷たかった。彼が「少し歩きますか」とすすめ、駅から離れた大通りを並んで歩きました。信号待ちで、彼がふと「家では、いい父親じゃないかもしれません」と漏らしました。私が黙っていると、「寝不足でイライラすることもあるし、仕事を言い訳に逃げているのかもしれない」と続けました。私は返す言葉が見つからず、「そういう自分を言葉にできる人は、逃げていないと思います」とだけ言いました。
握られたわけでも、抱き寄せられたわけでもないのに、その一言で線が溶けました。境界は、いつだってドラマチックに越えられるのではなく、静かににじんでいくものなんだと、後から思います。
それから、短い時間を何度か過ごしました。カフェで二十分。昼休みに社外のベンチで十分。彼は決して踏み込みませんでした。だからこそ、私は“安全な関係”だと自分に言い聞かせ続けることができたのです。最初に彼の状況を聞いたとき「既婚者」と理解していたのに、「まだ何もしていない」「心の支えになっているだけ」と自分を甘やかす言葉をいくつも発明しました。
最初のキスは、雨の日でした。社外打ち合わせの帰り、突然降り出して、狭いアーケードに入ったとき。彼は「ごめんなさい」と言いました。私は何に対しての謝罪かを聞けませんでした。柔らかく、短いキス。すぐに離れて、二人とも笑って、でも目を合わせられませんでした。帰りに送られてきたLINEは「さっきのこと、なかったことにしましょう」。私は「はい」と返しました。文字にすると、それは驚くほど簡単に約束できるのです。
その後の数週間、私は目の前の仕事に没頭するふりをして、本当はずっと通知を待っていました。彼は以前と同じように丁寧でしたが、どこかで自分を律している感じがありました。「今日はまっすぐ帰ります」「週末は家族で出かけます」。一つ一つの言葉が正しくて、だからこそ私の心は削れました。正しい人と“正しくない関係”を続けることの、じわじわとした痛み。自分の浅ましさに何度も嫌悪し、それでも次の既読を待ってしまう私。夜、電気を消した部屋に青い光だけが残り、胸の奥が重く沈む感覚は、いま思い出しても息苦しくなります。
転機は、意外と唐突に来ました。プロジェクトが一区切りつき、彼が異動になったのです。送別の寄せ書きに「家族思いのところ、尊敬しています」と私は書きました。本心でした。打ち上げの帰り道、彼は「ありがとう」とだけ言い、少し間をおいて「〇〇さんは、大切にされるべき人です」と続けました。私が「あなたこそ」と言いかけたとき、彼は首を横に振りました。「僕は、まず自分が大切にするべきものから逃げないようにします」。それは、私に対する優しさであると同時に、明確な拒絶でした。
その夜、私は長いメッセージを打ちました。言い訳も、怒りも、未練も、全部やめて、短い文にしました。「ありがとう。楽しかったです。さよなら」。送信してから、スマホを机に置き、窓を開けて深呼吸をしました。冷たい空気が肺に入るたび、何かが少しずつ剥がれていく感覚がしました。翌朝、彼から来たのは「ありがとう。お元気で」という、やっぱり正しい人の正しい言葉でした。
終わってからの時間のほうが、長かったです。職場では何事もなかったように過ごし、帰り道でふと涙が出る自分に驚き、週末に友人と会って笑っても、家に帰ると静けさに飲み込まれました。罪悪感と喪失感は、互いに増幅し合います。誰にも言えないまま抱えていると、心の中の重さは形を変えて居座り続けます。
私は逃げるのをやめて、ノートに全部書き出すことにしました。出会いの最初の違和感、曖昧なやさしさに期待した自分、都合のいい言葉で線を薄めた瞬間、そして、最後に踏みとどまった彼を責めたい気持ちと、感謝したい気持ち。書き終えるころには、痛みがちゃんと自分のものになっていました。「悪いことをした」のも「好きだった」のも、どちらも嘘ではない。だからこそ、次は選び方を変えよう。そう思えたのです。
いま、私は新しい人と出会っています。条件やステータスより、「今の暮らしや気持ちを自分の言葉で話せるか」を大切にするようになりました。会う前にビデオ通話を一度、会ってからは短時間で区切る、連絡のペースを最初にすり合わせる。境界線は、最初に具体的に引いておかないと、心は簡単ににじみます。相手のやさしさだけに頼らず、自分のやさしさで自分を守ること――あの経験から、やっと学んだことです。
時々、あの雨の匂いを思い出します。アーケードの薄暗さと、紙コップの温度、短く触れた唇の罪悪感。思い出は都合よく色を変えるけれど、私の中ではもう、美化も否定もされずに、ただの事実として置かれています。私が私を嫌いになりきらずに済んだのは、最後に線を引いた自分を、少しだけ信じられたからだと思います。
不倫は、誰かを本当に愛している証明にはなりません。むしろ、誰かと真っ直ぐ向き合う力が足りていないときの逃げ道になりやすいです。だからといって、誰かを簡単に断罪できるほど、私たちの心は単純でもありません。人は時に弱く、寂しく、間違えます。大事なのは、間違えた自分を見つめ直し、次の一歩をどう選ぶかだと、私は思います。
あの日の「さよなら」から一年。私はようやく、通知音のない夜を好きになれました。ゆっくり淹れたコーヒーを飲みながら、窓の外の灯りを眺めます。心は静かで、少しだけ、誇らしいです。
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